97歳!パリ音楽院教授ドビュッシー本人から聞いた解釈Pierre James teaches Debussy’s music
#ドビュッシー #神聖な舞曲と世俗的な舞曲 #debussy #danses My teacher,Marie-Claire Jamet gave me the precious video of her father Pierre Jamet.He was a friend of Debussy. full version profile URL↑ フランス伝説のハーピスト パリ音楽院教授であり ドビュッシーと友人だったピエール・ジャメ先生が90歳近い晩年に、ドビュッシー解釈について語ったレッスン風景です。 娘のマリークレール・ジャメ先生に教えていただいた時、私は19歳でした。 その時ジャメ先生が私にプレゼントしてくださった貴重なレッスン動画です! 【おおまかな日本語訳】 ドビュッシー作曲「神聖な舞曲と世俗的な舞曲」の冒頭。 左右2本の手が別々にあるではなく1本の手で弾いているシンプルなイメージでとドビュッシー本人が望んでいた。 ドビュッシーは、ロマン派のようなゆっくりで大袈裟なアルペジオを嫌った。 ピエール・ジャメ先生ご両親は画家でアーティスト一家だった。 お母様が教育熱心でクロマティックハープを買ってきた。 ピエールジャメのパリ音楽院時代の教師は、名曲「泉」を作曲したアッセルマン先生。 アッセルマン先生は、半音階をダブル弦で弾くクロマティックハープに未来は無い!と怒り、現在の足ペダルで半音操作するダブルアクションペダルハープに買い換えるよう注意された。 パリ音楽院を卒業して就職した劇場オーケストラのオペラ歌手が、ドビュッシーの自宅に連れていってくれた。 ドビュッシーは演奏が気に入らないと黙って部屋を出て行くと噂を聞いて緊張した。 ドビュッシー作曲トリオソナタを、作曲家本人の前で演奏した。 ドビュッシーが、ファドファド…の連打はタンバリンみたいな音で弾いてほしい、と要求した。 期待に応えたので気に入られて、次はドビュッシー自身がピアノで伴奏してくれて、「神聖な舞曲と世俗的な舞曲」を弾いた。 それは本当に素晴らしく美しいピアノで、弾き終わった後ドビュッシーが感謝を表す握手をしてくれた。 ロシアの有名作曲家、ストラビンスキーと船で演奏旅行したのも素晴らしい思い出だ。 彼はユーモアのある人物で、少年のように船が氷山にぶつかる!と騒いで怖がり医者を呼んだりしたが、彼の音楽は素晴らしい。 1922年にフランスの名ハープ奏者グランジャニーが五重奏団とアメリカに演奏旅行に渡り、成功をおさめた。 ジャメ先生授賞式 (ジュリアード音楽院インディアナ大学スーザン・マクドナルド先生インタビュー) 「ピエールジャメ師匠の弟子、孫弟子が世界中で活躍していて、まさにハープ界の伝説を作り上げている」 ドイツの弟子 「ドイツではハープはオーケストラの伴奏だったが、ジャメ先生のおかげでソロや室内楽の楽器と認められた」 ジャメ先生は70歳すぎても、現役でパリ音楽院教授をしていたのは異例のことだ。 教授を引退後もパリ郊外の故郷ガルジレスで指導を続けドイツ、イタリアなど世界中から習いに来ていた。 ピエールジャメ先生は90歳までステージで演奏し、97歳まで現役で生徒を教えていた。 「ハープをかき鳴らすだけでなく、音楽をすることを大切に」がジャメ先生の信念である。
#ドビュッシー #神聖な舞曲と世俗的な舞曲 #debussy #danses My teacher,Marie-Claire Jamet gave me the precious video of her father Pierre Jamet.He was a friend of Debussy. full version profile URL↑ フランス伝説のハーピスト パリ音楽院教授であり ドビュッシーと友人だったピエール・ジャメ先生が90歳近い晩年に、ドビュッシー解釈について語ったレッスン風景です。 娘のマリークレール・ジャメ先生に教えていただいた時、私は19歳でした。 その時ジャメ先生が私にプレゼントしてくださった貴重なレッスン動画です! 【おおまかな日本語訳】 ドビュッシー作曲「神聖な舞曲と世俗的な舞曲」の冒頭。 左右2本の手が別々にあるではなく1本の手で弾いているシンプルなイメージでとドビュッシー本人が望んでいた。 ドビュッシーは、ロマン派のようなゆっくりで大袈裟なアルペジオを嫌った。 ピエール・ジャメ先生ご両親は画家でアーティスト一家だった。 お母様が教育熱心でクロマティックハープを買ってきた。 ピエールジャメのパリ音楽院時代の教師は、名曲「泉」を作曲したアッセルマン先生。 アッセルマン先生は、半音階をダブル弦で弾くクロマティックハープに未来は無い!と怒り、現在の足ペダルで半音操作するダブルアクションペダルハープに買い換えるよう注意された。 パリ音楽院を卒業して就職した劇場オーケストラのオペラ歌手が、ドビュッシーの自宅に連れていってくれた。 ドビュッシーは演奏が気に入らないと黙って部屋を出て行くと噂を聞いて緊張した。 ドビュッシー作曲トリオソナタを、作曲家本人の前で演奏した。 ドビュッシーが、ファドファド…の連打はタンバリンみたいな音で弾いてほしい、と要求した。 期待に応えたので気に入られて、次はドビュッシー自身がピアノで伴奏してくれて、「神聖な舞曲と世俗的な舞曲」を弾いた。 それは本当に素晴らしく美しいピアノで、弾き終わった後ドビュッシーが感謝を表す握手をしてくれた。 ロシアの有名作曲家、ストラビンスキーと船で演奏旅行したのも素晴らしい思い出だ。 彼はユーモアのある人物で、少年のように船が氷山にぶつかる!と騒いで怖がり医者を呼んだりしたが、彼の音楽は素晴らしい。 1922年にフランスの名ハープ奏者グランジャニーが五重奏団とアメリカに演奏旅行に渡り、成功をおさめた。 ジャメ先生授賞式 (ジュリアード音楽院インディアナ大学スーザン・マクドナルド先生インタビュー) 「ピエールジャメ師匠の弟子、孫弟子が世界中で活躍していて、まさにハープ界の伝説を作り上げている」 ドイツの弟子 「ドイツではハープはオーケストラの伴奏だったが、ジャメ先生のおかげでソロや室内楽の楽器と認められた」 ジャメ先生は70歳すぎても、現役でパリ音楽院教授をしていたのは異例のことだ。 教授を引退後もパリ郊外の故郷ガルジレスで指導を続けドイツ、イタリアなど世界中から習いに来ていた。 ピエールジャメ先生は90歳までステージで演奏し、97歳まで現役で生徒を教えていた。 「ハープをかき鳴らすだけでなく、音楽をすることを大切に」がジャメ先生の信念である。